研究内容
脳・神経系を構成する主要な細胞種であるニューロンやグリア細胞は共通の神経幹細胞から産生されます。また、長らく再生しないと考えられていた成体の脳にも神経幹細胞は存在し、その神経幹細胞から新しく産生されたニューロンの高次機能における関与が示唆されています。神経幹細胞の分化は、細胞外因子等のクロストークのみならず、DNAのメチル化を含むエピジェネティクス等の細胞内在性プログラムにより時空間的に巧妙に制御されています。私達の講座では、神経幹細胞の分化制御機構の解明に挑むとともに、そこで得られた知見をもととした、損傷神経機能の修復や再生への応用を目指しています。
1.エピジェネティクスによる神経幹細胞分化制御機構の解明
神経幹細胞が各細胞系譜へと運命つけられる時に起こる細胞内のDNAメチル化やヒストン修飾などのエピジェネティックな変化を解析し、それがどのようにして細胞外因子と協調して細胞系譜を制御するのかを解明します。また、タンパク質をコードしない、いわゆるノンコーディングRNAを利用し、エピジェネティック制御を操作することにより、利用価値の高い細胞への変換を目指します。
2.万能性幹細胞を用いた神経幹細胞系譜制御機構の解明
胚性幹(ES)細胞や誘導型多能性幹(iPS)細胞は生体の全細胞種へと分化する能力をもつ多能性幹性細胞です。したがって、効率よく望みの細胞へと分化誘導できれば、基礎生物学的に興味深いだけでなく、再生医療への応用などが期待できます。そこで、多能性幹細胞から神経細胞への分化制御機構の解明を目指します。
3.神経幹細胞移植やダイレクトリプログラミングによる損傷神経の修復
1. や2. で得られた知見をもとに、効率良くニューロンを産生する神経幹細胞を神経損傷モデルマウス等に移植を行い、神経機能の修復の改善を評価、検討します。また、最近では、脊髄に存在するニューロン以外の細胞(例えば、ミクログリアやアストロサイト)に転写因子を遺伝子導入することで、こうしたニューロンではない細胞を、iPS細胞や神経幹細胞を介さずに、直接的にニューロンへ転換させる技術の開発と治療法確立を目指しています。これまでに、培養マウスミクログリアおよびアストロサイトに、たった一つの転写因子NeuroD1を強制発現させるだけで、エピジェネティクスの書き換えが起こり、これらグリア細胞からニューロンへの直接的な誘導(ダイレクトリプログラミング)が可能であることを見出しています。この技術を損傷神経の回復(例えば脊髄損傷や脳梗塞の治療)に応用できれば、iPS細胞を用いた移植治療の問題点として挙げられる、腫瘍化、免疫拒絶、細胞準備工程の複雑性などを解決できる可能性があります。
4.成体神経幹細胞の制御機構と医療への応用
近年、成体の脳にも神経幹細胞が存在することが明らかとなってきており、特にヒトの海馬では1日700個のニューロンが作られ、海馬依存的な記憶や学習に貢献していることが示されています。また、このニューロン新生の異常が様々な神経疾患と深い関わりがあることが明らかになってきています。私たちは最近、脳の免疫細胞であるミクログリアがてんかん発作依存的な異常ニューロン新生を抑制することを見出しました。このように、老化や神経疾患病態下における成体神経幹細胞の挙動を制御する機構を明らかにすることで神経疾患治療への応用を目指します。
5.成体ニューロン新生を制御する腸内細菌の探索 (PRISM)
神経幹細胞は、大人の脳(特に海馬)に存在し、日々新しいニューロンを産生することで、認知機能(学習・記憶)の維持に貢献しています。一方、腸内細菌叢は、高次生命機能に大きな影響を及ぼすもう一つの臓器ともいうべき機能を備えており、その変容(dysbiosis)は、老化やうつ、自閉症に伴う認知機能障害との関連が報告されはじめていいます。私たちはこれまでに、官民研究開発投資拡大プログラム「認知症に関与するマイクロバイオーム・バイオマーカー解析」(PRISM: https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/191114/sanko1.pdf) の一環として、16S rRNA遺伝子解析により、通常飼育下マウスにおいて海馬ニューロン新生と正・負に相関する数菌種を同定しました。今後は、抗生物質投与やアルツハイマー病患者由来糞便移植マウスなどにおけるデータを収集し、ニューロン新生に関与する菌種の高精度特定、該当菌種の分離培養とゲノム・遺伝子解析による特性解明、ニューロン新生・認知機能と腸内細菌の相関解明、同定菌種のノトバイオートマウスを用いた菌・宿主相互作用の分子メカニズムの解明を行うとともに、腸内細菌制御による新しい認知機能改善法の創出を目指します。
6.脈絡叢による脳機能調節の実態解明
脳室に存在する脈絡叢は脳脊髄液産生を主とする組織ですが、さまざまな増殖因子や細胞外小胞を分泌することで、脳発生や発達を制御、成体においても脳機能調節に関わっています。私達は、加齢に伴う認知機能低下に脈絡叢変容が深く影響する知見を得たため、抗老化標的として、脈絡叢の機能解明を目指しています。
7.精神疾患・神経発達障害の発症メカニズムの解明
精神疾患・神経発達障害は「神経細胞(ニューロン)に生じた自律的な障害が疾患発症の原因になる」と考えられてきたが、最近、「非ニューロン細胞(アストロサイトやミクログリアなど)の機能異常に起因する非自律的な神経障害が疾患発症に深く関わること」が明らかになってきた。私たちはこれまで、進行性の重篤な精神・神経発達障害であるレット症候群(RTT)のモデルマウス(MeCP2欠損マウス)を用いて疾患発症メカニズムの解明を行ってきた。その中で、脳内炎症がRTT発症に関与していることを見出しており、今後は脳内炎症の原因を特定することで精神疾患・神経発達障害の治療法の開発を目指します。